Katecsブログ

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常に創造的な仕事をする

与えられた仕事を生涯の仕事として一生懸命行うことは大切ですが、ただそれだけでよいということではありません。一生懸命取り組みながらも、常にこれでいいのか、ということを毎日毎日考え、反省し、そして改善、改良していくことが大切です。決して昨日と同じことを漫然と繰り返していてはいけません。毎日の仕事の中で、「これでいいのか」ということを常に考え、同時に「なぜ」という疑問をもち、昨日よりは今日、今日よりは明日と、与えられた仕事に対し、改善、改良を考え続けることが創造的な仕事へとつながっていきます。こうしたことの繰り返しによってすばらしい進歩が遂げられるのです。

知識より体得を重視する

「知っている」ということと「できる」ということは全く別です。たとえば、プラスチックを成形するときの収縮率やヒケ、変形などの予測一つをとってみても、この事実はよくわかります。文献などで得た知識に基づいて、同じ成形を行ったつもりでも、実際に得られる結果はその都度違ってくるということがよくあります。本の上での知識や理屈と実際に起こる現象とは違うのです。経験に裏打ちされた、つまり体得したことによってしか本物を得ることはできません。このことは営業部門であれ、管理部門であれ全く同じで、こうしたベースがあってこそ、はじめて知識や理論が生まれてくるのです。

バランスの取れた人間性を備える

バランスのとれた人間とは、何事に対しても常に「なぜ」という疑問をもち、これを論理的に徹底して追究し、解明していく合理的な姿勢と、誰からも親しまれる円満な人間性をあわせもった人のことをいいます。いくら分析力に優れ合理的な行動を貫くスマートさを備えていても、それだけでは、まわりの人々の協力を得ることはできないでしょうし、逆にみんなからいい人だといわれるだけでは、仕事を確実に進めていくことはできません。私たちがすばらしい仕事をしていくためには、合理性ととともに、「この人のためなら」と思わせるような人徳を兼ね備えていなければなりません。

私心のない判断をする

何かを決めようとするときに、少しでも私心が入れば判断はくもり、その結果は間違った方向へといってしまいます。人はとかく、自分の利益となる方に偏った考え方をしてしまいがちです。みんなが互いに相手への思いやりを忘れ、「私」というものを真っ先に出していくと、周囲の協力も得られず、仕事がスムーズに進んでいきません。また、そうした考え方は集団のモラルを低下させ、活動能力を鈍らせることにもなります。私たちは日常の仕事にあたって、自分さえよければという利己心を抑え、人間として正しいか、私心をさしはさんでいないかと、常に自問自答しながらものごとを判断していかなければなりません。

本音でぶつかれ

責任をもって仕事をやり遂げてゆくためには、仕事に関係している人々が、お互いに気付いた欠点や問題点を遠慮なく指摘しあうことが必要です。ものごとを「なあなあ」で済まさずに、絶えず「何が正しいか」に基づいて本音で真剣に議論していかなければなりません。欠点や問題に気付いていながら、嫌われるのをおそれるあまり、それらを指摘せずに和を保とうとするのは大きな間違いです。ときには口角泡を飛ばしてでも、勇気をもってお互いの考えをぶつけ合っていくことが大切です。こうした中から、本当の意味でお互いの信頼関係も生まれ、より良い仕事ができるのです。

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