Katecsブログ

HOME > フィロソフィー|第2章

純粋な心で人生を歩む

古代インドのサンスクリット語で「偉大な人物の行動の成功は、その行動の手段によるよりも、その人の心の純粋さによる」というある聖人の言葉が残されています。純粋な心とは言い換えれば、物事を行うときの動機が純粋であり、私心がないということと同じです。またそれは、人間として何が正しいのかということとも共通しています。純粋な心を身につけることによって、私たちは間違いのない人生を歩んでいくことができます。純粋で私心のない心、すなわち人間として高い見識や見解を判断基準として物事を決め、人生を歩めば、その人の人生に大きな潤いとすばらしい結果をもたらすのです。

反省ある人生を送る

自分自身を高めようとするなら、日々の判断や行為がはたして「人間として正しいものであるかどうか、奢り驕ぶりがないかどうか」を常に謙虚に厳しく反省し、自らを戒めていかなければなりません。本来の自分にたち返って、「そんな汚いことをするな」「そんな卑怯な振る舞いはするな」と反省を繰り返していると、間違いをしなくなるのです。忙しい日々をおくっている私たちは、つい自分を見失いがちですが、そうならないためにも、意識して反省する習慣をつけなければなりません。そうすることによって、自分の欠点を直し、自らを高めることができるのです。

小善は大悪に似たり

人間関係の基本は、愛情をもって接することにあります。しかし、それは盲目の愛であったり、溺愛であってはなりません。上司と部下の関係でも、信念もなく部下に迎合する上司は、一見愛情が深いように見えますが、結果として部下をダメにしていきます。これを小善といいます。「小善は大悪に似たり」といわれますが、表面的な愛情は相手を不幸にします。逆に信念をもって厳しく指導する上司は、けむたいかもしれませんが、長い目で見れば部下を大きく成長させることになります。これが大善です。真の愛情とは、どうあることが相手にとって本当に良いのかを厳しく見極めることなのです。

動機善なりや私心なかりしか

大きな夢を描き、それを実現しようとするとき、「動機善なりや」ということを自らに問わなければなりません。自問自答して、自分の動機の善悪を判断するのです。善とは、普遍的に良きことであり、普遍的とは誰から見てもそうだということです。自分の利益や都合、格好などというものではなく、自他ともに、その動機が受け入れられるものでなければなりません。また、仕事を進めていくうえでは、「私心なかりしか」という問いかけが必要です。自分の心、自己中心的な発送で仕事を進めていないかを点検しなければなりません。動機が善であり、私心がなければ、結果を問う必要がありません。必ず成功するのです。

夢を描く

現実は厳しく、今日一日を生きることさえ大変かもしれません。しかし、その中でも未来に向かって夢を描けるかどうかで人生は決まってきます。自分の人生や仕事に対して、自分はこうありたい、こうなりたいという大きな夢や高い目標を持つことが大切です。カテックスグループをまず名古屋で一番、その次に中部で一番、それから日本一、世界一の企業にしたいという大きな夢を描き続け、努力を重ねていくことによって今日があり、明日があるのです。高く素晴らしい夢を描き、その夢を一生かかって追い続けるのです。それは生き甲斐となり、人生もまた楽しいものになっていくはずです。

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